はじめに

自分で作っていたプロダクトがひとまず形になり、公開前に LP を作ろうとしたときのことです。あらためてコンセプトを言語化するために AI と壁打ちしていたら、説明はどんどん整っていきました。

でも、その過程で少しずつ違和感が強くなっていきました。論理的には正しい。一定のニーズもありそうに見える。それなのに、どこか自分が本当に作りたかったものとは違う気がしたのです。

今振り返ると、問題は AI に壁打ちを手伝ってもらったこと自体ではありませんでした。WhyWhat の確認が後回しになったまま、試作と説明だけが気持ちよく前に進んでいたことのほうが本質だったと思っています。

この記事では、その失敗をもとに、AI 時代に人が握るべきものと、逆に AI に任せてよいものを整理します。

この記事でわかること

  • AI と壁打ちしているうちに、なぜ自分の作りたいものを見失うことがあるのか
  • AI 時代に、人が自分で握るべきものと任せてよいものは何か
  • Why What How をどう意識すると、AI に流されにくくなるか

1. AIと壁打ちしていたら、作りたいものが少しずつずれていった

1-1. 公開前に、あらためてコンセプトを考え始めた

今回のプロダクトは、先にある程度形になっていました。機能としてはすでに動いていて、次に必要だったのは「これは何のためのプロダクトなのか」「誰にどう伝えるのか」を整理することでした。

そこで、公開前の LP を作るために、AI と一緒にコンセプトを言語化し始めました。自分の中では、設計や実装の延長で、説明もそのまま整っていくだろうという感覚でした。

実際、AI と壁打ちすると言葉はかなり整います。曖昧な考えでも、筋の通った形にまとめてくれるし、ターゲットや価値提案もそれらしく言語化してくれます。だからこそ、その段階では「順調に進んでいる」と思っていました。

1-2. 論理的には正しい。でも、どこか違った

AI との壁打ちで出てきたコンセプトは、説明としては成立していました。困っている人がいて、その人にこういう価値を届ける。そうした流れとしては自然で、読み手にも伝わりやすそうでした。

ただ、整えば整うほど、違和感も強くなりました。気づくとそのプロダクトは、孤独な経営者に寄り添う支援サービス のような説明に寄っていったからです。

それ自体が間違っていたわけではありません。論理的にも筋が通っていましたし、そういうニーズがあることも十分考えられます。でも、自分の中のワクワクはそこにはありませんでした。

説明としては正しいのに、自分の作りたかったものとは少し違う。この違和感が、公開前の段階でようやくはっきり見えてきました。

1-3. 本当は、挑戦を前に進める相手を作りたかった

自分が本当に作りたかったのは、みんなが挑戦を一緒に前に進めてくれる相手を持てるようにすることでした。

もう少し具体的に言えば、やってみたかったけれど一人では前に進めにくかったことに、AI と一緒に挑戦できる状態を増やしたかったのだと思います。気軽に相談できて、困ったときに頼れて、ときには一緒に手を動かしてくれる。そんな相手を、特別な人だけでなく誰でも持てるようにしたかった。

きれいに言えば「挑戦を前に進める相手」ですが、自分の感覚ではもっと単純で、AI は世の中に挑戦するための武器でした。困りごとに寄り添うことより、やってみたかったことを前に進められる感覚のほうに、自分は強く惹かれていたのだと思います。

だからこそ、寄り添う支援サービス という説明に整っていくほど、違和感が大きくなっていきました。そこでようやく、自分は説明の精度ではなく、そもそもの WhyWhat のほうを見直さなければいけないのだと気づきました。

2. ずれた原因は、AIだけではなかった

今回ずれたのは、AI が勝手に方向を変えたからではありません。自分の中でも、すでに手段が先行していたところに、AI の論理整理がきれいに乗ってしまったのだと思います。

2-1. 試作が先に進み、WhyWhat の確認が後回しになっていた

今回のプロダクトでは、公開前の時点ですでに試作がかなり進んでいました。実装が先に形になっていたので、コンセプトもその延長で自然に整理できるつもりでいました。

でも実際には、試作が進んでいることと、なぜそれをやりたいのか何を作りたいのか が整理できていることは別です。むしろ、プロダクトが先に形になっていたからこそ、WhyWhat は公開前に説明として整えればよいような感覚になっていました。

その状態で LP 用の説明を後から整えようとすると、どうしても「すでにあるものをどう説明するか」に引っ張られます。本来は WhyWhat を確認しながら試作や実装を進めるほうが自然だったはずなのに、今回はその順番が逆でした。ここが最初のズレだったと思います。

2-2. AIで作ること自体が楽しすぎた

もうひとつ大きかったのは、AI で作ること自体が楽しかったことです。実際、その時期は Claude Code を三連休ずっと触ってしまうくらい、AI と一緒に作ることに熱中していました。

今までなら、本業の合間に副業で自分のプロダクトを作るのはかなり難しかったと思います。実装自体はできても、時間が足りないからです。でも AI があると、休日の少しの時間でも、動くものが少しずつできていきます。その感覚が本当におもしろかった。

ただ、そのワクワクが強かったからこそ、作ること が手段ではなく目的になりかけていました。本来は「何のために作るのか」を考えなければいけないのに、「作れる」という事実のほうが強い推進力になっていたのです。

2-3. AIは、曖昧な目的でも論理的に前へ進めてしまう

AI のやっかいさは、目的が曖昧でも、それらしい答えを返せてしまうことだと思います。

WhyWhat が十分に言語化できていなくても、AI はもっともらしいターゲット設定や価値提案を出してくれます。表現も整っているし、論理も通っている。だから、その方向が自分の核とずれていても、ぱっと見では気づきにくいです。

今回もまさにそうでした。AI が出したコンセプトは「間違い」ではありませんでした。むしろ、説明としてはかなりよくできていました。でも、それが自分のものかどうかは別でした。

AI は、曖昧な目的でも前へ進めてしまいます。だからこそ、握るべきものを握らないまま使うと、論理的には正しいのに、自分の作りたいものとは少し違う場所に着地してしまうのだと思います。

本来の流れと、今回ずれた流れを並べると、違和感の正体が見えやすくなります。
本来の流れと、今回ずれた流れを並べると、違和感の正体が見えやすくなります。

3. AI時代に人が握るべきもの、任せてよいもの

今回の失敗を通して、自分の中では Why What How を分けて考える必要がはっきりしました。AI が強くなるほど、全部を自分で持つ必要はなくなります。ただ、そのぶん「何を自分で握るか」と「何を後回しにしないか」は意識しないといけません。

3-1. 人が握るべきなのは WhyWhat

AI に任せてはいけないのは、作業そのものではありません。任せてはいけないのは、目的や価値判断の中核です。

ここでいう Why は「なぜそれをやりたいのか」「どんな価値観や問題意識があるのか」です。What は「何を作りたいのか」「どんな状態を実現したいのか」です。

今回の失敗で言えば、曖昧だったのはまさにここでした。自分は何を作りたいのか。なぜそのプロダクトを世の中に出したいのか。その中核が十分に言語化されないまま、説明だけが先に整っていきました。

AI が強い時代ほど、人間は WhyWhat を握る必要があるのだと思います。そうしないと、AI の出す整った答えに、自分のほうが引っ張られてしまいます。

3-2. How はAIに大きく任せてよい

ただ、ここで言いたいのは「だから AI に頼るな」ではありません。むしろ WhyWhat が見えているなら、How はかなり積極的に AI に任せてよいと思っています。

実装の進め方、選択肢出し、壁打ち、構成案の整理、文章の叩き台づくり。こうした How の領域は、AI が非常に強いです。今回も、作ること自体が前に進んだのは AI がいたからこそでしたし、その価値を否定したいわけではまったくありません。

むしろ、WhyWhat が見えているほど、AI の力は素直に効きます。どこへ向かうかが定まっていれば、どう進むかについては、人間だけで抱え込むよりずっと速く、広く考えられるはずです。

3-3. AIに流されないために、WhyWhat を空白のままにしない

ここで大事なのは、WhyWhat を最初から完成させておくことではありません。実際、自分も今回の対話のように、壁打ちしながら少しずつ言語化していくやり方には価値があると思っています。

大事なのは、WhyWhat を探索対象として意識したまま進めることです。完成していなくてもよいですが、その確認が後回しになったまま試作や説明だけを前に進めないことが重要です。

たとえば AI と壁打ちするときも、途中で何度も立ち返ったほうがよいのは、次のような問いだと思います。

  • なぜそれをやりたいのか
  • 自分は何を作りたいのか
  • いま整ってきている説明は、本当に自分の作りたいものにつながっているのか

AI に流されないために必要なのは、AI を遠ざけることではありません。WhyWhat を何度も確認しながら、一緒に進めることなのだと思います。

まとめ

今回の失敗で気づいたのは、AI に任せてはいけないのは作業そのものではなく、目的や価値判断の中核だということでした。

WhyWhat は最初から完成していなくてもいいし、AI との対話で深めていってもいい。ただ、その確認が後回しになったまま試作や説明だけを前に進めると、自分の作りたいものを見失いやすいのだと思います。

AI が強い時代だからこそ、大事なのは AI を遠ざけることではありません。自分が握るものを意識したうえで、一緒に前へ進めること。その感覚を、今回の失敗からあらためて学びました。